豊臣秀長公の書院・茶室

大和郡山城主として天正十三年(一五八五)に入城した秀長公が、
その短い生涯を閉じる天正一九年までの間に大和郡山城内より移築した建築物で、
・附書院十畳・十五畳
・二畳台目茶室
・二畳水遣
からなる御殿です。
移築以来四百年の歳月を経た建物は、
壁面の脱落など著しい欠損のために大修理が必要となり、
天下の名寺社工である西岡常一棟梁の下、
昭和五八年より三年二カ月の期間をかけて修復がなされました。
永く後世にその様式を残すため、
古材の使用を一部にとどめ、
残りの古材は天井裏に永久保存されています。
