矢田寺の歴史と北僧坊

開山

当山の開基

今より一千三百年前の白鳳四年、
当地で戦勝祈願をされた天武天皇の
その勅願によって智通僧上が開基されました。
七堂伽欄48カ所坊を造営、
十一面観世音菩薩と吉祥天女を本尊として安置されました。

正式な名称は矢田山金剛山寺(こんごうせんじ)ですが、
矢田の里にあることから
古くから矢田寺と呼ばれて親しまれています。

満米上人と矢田地蔵縁起

満米上人と矢田地蔵縁起


開基より約100年の後の平安弘仁年間、
矢田寺中興開山といわれる満米上人により
地蔵菩薩が安置されました。


『矢田地蔵縁起』より
あるとき、地獄にいる閻魔大王が、
菩薩戒を受けたいと嵯峨天皇の臣、小野篁に欲した。
そして当時矢田寺に住していた満米上人が、
小野篁に乞われ、共に閻魔庁に赴き菩薩戒を授けた。

その礼として地獄を案内されて回った際、
燃えさかる炎の中で衆生に代わって
責苦を受けておられた地蔵菩薩を拝し心を打たれ、
現生に帰ってすぐにそのお姿を刻もうとしたが、
思うようには彫れなかった。

しかしある日、上人の前に四人の翁が現れ
三日三晩の間に、地獄で拝したその姿の地蔵菩薩を彫りあげ、
「我々は仏法守護の神である」
と言って春日山へ飛び去ったという。
それ故に御本尊地蔵菩薩は
春日四社明神の作と伝えられている。

以後当山はお地蔵さんにゆかりの深いお寺として
ご信仰されています。

現在の矢田寺と北僧坊

現在の矢田寺と北僧坊

現在の矢田寺の本堂は江戸初期の再建で、
平成八年から一五年にかけて大修理が行なわれました。
本堂の他に講堂・鐘楼・閻魔堂・大師堂・天武天皇の御影堂、
並びに塔頭四ヶ坊があります。

また、境内にはみそなめ地蔵・見送り地蔵、
子安地蔵・六地蔵・十三佛・その他大小多数の石仏があり、
背面の山腹には矢田山四国八十八か所の石仏霊場が
配置されています。
また近年では"大和十三佛霊場"、"大和地蔵十福霊場"にも属しており、
多数の方々が参拝されておられます。

さらに六月初旬より七月初めにかけて
境内一面に咲き誇るあじさいの花は、
あたかもこの世の極楽を表すかの如く壮観です。


北僧坊は、矢田寺開山の智通僧正の御住坊でした。
また、桃山時代には豊臣秀吉の異父弟で
大和郡山百万石の城主、大和大納言豊臣秀長公が
郡山城内より書院と茶室を移築し、遊居されました。

また、江戸時代には北僧坊は
矢田寺の塔頭寺院二十数ヶ坊を統治する別当職を務め、
矢田寺創建以来、昭和の初めまで矢田寺住職を兼務してきました。
現在北僧坊では、宗派を問わない納骨・水子供養を受け付け、
日々廻回・供養しています。

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矢田寺の主な行事

修正会
一月一日~三日
修二会
二月一日
涅槃会
二月十五日
春彼岸会
春分の日の前後一週間
正御影供
四月二十一日
開山会
六月六日
盂蘭盆会
八月一日~七日
施餓鬼会
八月十八日
地蔵盆
八月二十三日、二十四日
秋彼岸会
秋分の日の前後一週間
仏名会
十二月九日
弘法大師御影供
毎月二十一日
地蔵菩薩欲日
毎月二十三日